雑賀孫八参戦記
大阪城甲冑教室


そしていよいよ7月24日から第3回の甲冑教室がはじまりました。
今回は、大阪城天守閣でなく心斎橋の大阪観光コンベンション協会の
会議室をお借りして行われました。

大阪城甲冑教室は、真田幸村の"真田の赤備え"といわれた「頭形兜と
桶側二枚胴具足」を作るのが基本です。つまり赤い甲冑を製作しない
といけないのです。ただ僕が雑賀衆の再現を河井先生に相談し和歌山
での甲冑教室の実施も模索していたので、特別に黒で甲冑を作ること
をお許しいただきました。本当にご配慮ありがとうございましたm(__)m
是非、第4回の教室も参加させていただいて大阪城甲冑隊として参加
するための赤い甲冑も一体持っておかないと・・と思っています。

教室風景(大阪観光コンベンション協会の会議室にて)卒業式から(撮影:河井計実先生)

問題は、まだありました。
それは、教室の最終日が8月28日だったことです。
28日には、自分たちが実施する『孫市の街!市駅夏まつり』がありま
した。それまでには最低一体は、甲冑が必要だったのです。今年は、
テーマを自分たちの街のPRにしぼって"雑賀衆の本拠の街"をアピー
ルすることになっていました。だから紀州雑賀鉄砲衆の演武と雑賀衆
甲冑姿は、絶対はずせませんでした。

他の方より早く作らないといけない・・自慢じゃないが、工作は大の
苦手!商店街でも何かを作るとなると若い子にお願いするばかり・・
今回も日程があえば他のメンバーの参加の方が良いと思っていました。

だから果たして作れるのか不安いっぱいの初日でした。
でも隣で作業していた陽気なオジサンにいろいろ助けられました。こ
の陽気なオジサンがゆるり甲冑隊の隊長辰之進さんでした。そうです、
これが、いつも絶好調の辰之進ちゃんとの出会いでした(^^ゞポリポリ

初日は身体に合わせて型作り
モデルは辰之進ちゃん(^^)
桶側を貼ったところ、型紙と裏の
ダンボールと桶側と3枚貼りです
ペンキ塗りは自宅で〜午前3時前〜片付け
て営業用に戻すのが一日の最後の仕事

目的は、雑賀衆の再現ですが時間がありません。この際胴は別として
雑賀鉢を作った街として「紀州宇治住」と自分たちの街で作った証が
ある、あこがれの雑賀鉢に出来るだけ近づけることにこだわりました。

甲冑教室でいただいた頭形兜鉢


←あこがれの鉄錆地置手拭形兜
角状の鋲、鋲、吹返、眉形切鉄などを
可能な範囲で真似て取り付けました。

最初、草摺りは茶色に塗っていました。図録の雑賀甲冑には、茶色の
草摺りが付いていたからです。"こて"と"すねあて"を作る段階になっ
て茶色はおかしいと変更しました。甲冑教室でもらえる "こて"と"す
ねあて" は赤い甲冑を前提とした黒いものだったからです。それで本
を参考にオレンジぽい色の"こて"と"すねあて"にしました。茶色とオ
レンジが混在するよりも黒とオレンジにする方が良いと計画変更です。
結局、草摺りは茶色3回、黒3回都合6回塗ったことになります。

そうしていると、また問題がもちあがりました。
それは8月21日の『紀州ぶんだら踊り』開幕の鉄砲射撃の采配を依頼
されたのです。誠に光栄なことで嬉しかったですが、この際、雑賀衆
甲冑姿で出演したかったので更に完成まで一週間早まりました。

それからは、21日まで完成させることに全精力をつぎ込みました。
がんばった甲斐あって、21日当日午前中に甲冑教室に行って足りない
部品をいただいて残った草摺りの紐を編みました。あとは、帰って家
で胴に付けるだけです。午後2時に自宅に着くと午後3時まで何とか
草摺り付けや残った作業をやり終えました。集合時間が4時だったの
で、ギリギリ完成でセーフでした(#^ー゜)v

『紀州ぶんだら踊り』の模様は、つぎのページをご覧ください〜♪

なお卒業式は、9月11日に大阪城で行われました。
甲冑姿で城内を周るとすぐに撮影をもとめられ甲冑姿の人気を
改めて感じました。

  撮影:河井計実先生
撮影:辰之進殿一緒に大坂城を周った河井先生、辰之進殿、七郎殿


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